「被災復興に微力でも手助けになれば」2間×3間パイプテント10張及び四方横幕10枚寄贈
能登半島地震の余韻が未だ残る被災地にテント業を営む当社としてできること
(R.M)
いつもお世話になっております。
さて、石川県民であれば法人個人問わず誰しもの記憶に刻まれた今年(2024年)元旦。
正月気分を一気に吹き飛ばす最大震度7、マグニチュード7.6の、地震の強さとしては、最近の大地震である2011年3月11日の東日本大震災に迫る規模の大地震「能登半島地震」に見舞われました。
その地震の激しさを物語るように、半年経った今でもその爪痕が大きく残っている6月初旬現在の輪島市、
テント業を営む当社として。
当社の拠点が金沢以南の加賀市だったため、被害が軽微で済んだからこそ。
何か少しでもいいから被災地の役に立てることは無いかと、考えを巡らし、この度、縁あって輪島市役所防災対策課の方と直で話す機会を5月10日に得ることが出来たものですから、
その日に、2間×3間(3.6m×5.4m)パイプテント10張の寄贈を申し入れさせていただき、受諾いただきましたことから、1か月後の6月5日、会社の代表として菅本勇気常務と他スタッフ2名でお届けに上がらせていただきました。
その際に、繰り返しになりますがテント業を営む当社ですから、テントだけではなく、様々な用途を想定して、目隠し用に横幕も一緒にどうだろうか、という意見が社内で出たことから、当社縫製スタッフが今回の寄贈のためにオーダーメイドで制作した、テントに1mほどの入口を設けることが出来る一枚ものの四方横幕(幅18m×高さ2m)も一緒に10枚お渡しさせていただきました。
以下、関連画像のご紹介
パイプテントに関しましては新品在庫を天幕と共に所持していましたので、それはすぐに準備できるものでしたが、テントの周りを囲う横幕は「用途に合わせて」作るもので、今回はこのような形を想定しました。
幅18mですので結構な長さのものになります。
慎重に正確に均等に寸法を取っていきます。18mを一気に広げられる空間はそうそうないものですので、5m~6mくらいずつ広げながらの採寸です。
こちらは工業用ミシンによるミシン掛け。縫い合わせ部分はまっすぐに縫わないと、表面の仕上がりが皴になったり、生地の幅がいびつになったりしますが、その辺りは、当社が培ってきた技術で問題なく奇麗に仕上げることが出来ます。
鉄骨に留める紐を付けるためのハトメ作業。こちらは、幅のバランスを考慮して奇麗に均等になるよう留めていきました。
そうやってできあがった横幕10枚とパイプテント10張をもって、輪島市へ出発です。
目指す寄贈場所は輪島消防署。
さて、その輪島消防署にて。
今現在、石川県能登地方は震災復興の作業で大わらわということをメディア等で聞いていましたから。
着いたときにかなり嬉しい「出来事」がありました。
なんと、復興作業で忙しいにもかかわらず、輪島消防署の方に、積み下ろしの際、お手伝いいただきました。
それもこれほど大勢の方に。
そして図らずも見せていただきました。
バケツリレーを応用された積み下ろし。特別声を掛け合うこともなく、アイコンタクトで自然に一番、寄贈品であるテントと横幕を運びやすいように並ぶその手際の良さと荷下ろしの受け渡しのスピード。
この辺りに、正直、圧倒されました。
それに何より。
積み下ろしの際に笑顔で対応されているのが、とても嬉しくあり、テントと横幕を寄贈させていただいたことに、「これからこの寄贈品は被災地の役に立てるのだろう」という喜びを感じることが出来ました。
能登半島復興に向けて当社が今後も何か協力できないかを考える
これが当日、輪島市に寄贈させていただいた2間×3間パイプテント10張(左:鉄骨、右手前:天幕)、四方横幕(右奥)です。
私たちはこの寄贈テントを積み下ろしした後、輪島市役所へ、寄贈品をお届けした挨拶に向かいまして、その帰り道。
ふと、輪島消防署を覗いてみましたら、つい15分ほど前に下したパイプテントが数台、すでに(積み下ろし作業中の画像にも映っていますが)軽トラックに乗せられて、どこかの被災現場へ運ばれるところでした。
先ほど、輪島消防署の方々の笑顔同様、軽トラックにテントが乗せられていた様子を見た時に、なんとも言えない感無量の嬉しさがこみ上げてきました。
輪島市役所でも、防災対策課の課長様、5/10に寄贈申し入れをさせていただいた主事様、今回お立会いいただいた方の三名がお忙しい中、貴重な時間を削ってまでお礼を言いに来てくれた姿に感動を覚えました。
加賀市に居るとどうしても、能登の甚大な被害に対して何もできなかったことが少し後ろめたくもあったのですが、これで少しは役に立てたのではないかという思いでほっとした、といったところでしょうか。
とは言え、今回の震災による復興にはまだまだ時間がかかるのは自明の理。
今回はもちろん、5/10に輪島市への道のりで通ったのと里山海道。7月末までに全区間対面通行可能になる見込み、とのニュースもありましたが、
当社のスタッフが輪島市に向かった際は、特に輪島市~七尾市間が甚大な被害で片側の、それも七尾市→輪島市側しか通れないだけでなく、道も結構凸凹でした。
しかし、懸命に復旧作業に励まれている作業車と作業員を見てきました。
奇しくも、テント等を寄贈したその日の午後から公費による解体作業も始まりました。
この日、当社からは、冒頭にも申しました通り、3人でお伺いさせていただいたのですが、輪島消防署の方にお手伝いいただいたことで、当社の積み下ろしスタッフは、トラック内から輪島消防署の方たちに手渡しする2人で事足りたため、菅本勇気常務が会社の代表として、お立会いいただいた輪島市防災課の方に、テントの活用方法を伝えることができ、相手の方からは震災から今日までどんな動きだったかをご教示いただけました。
それらを見聞きして石川県内の企業として、復興をお手伝いできる何かがまだあるのではないかと考えつつ、帰社の路についた次第です。
改めて、当日、ご対応いただいた輪島市役所防災課の課長様を始めとしたお三方並びに積み下ろしをお手伝いいただいた輪島消防署の皆様には感謝申し上げます。
さて、今回末文は、当日、お手伝いいただいた様子の動画撮影したものを掲載させていただきます。お忙しい中、それでも笑顔でお手伝いいただいた輪島消防署の方々の姿をご覧ください。